考察と解釈と鑑賞

曲の歌詞・映画・その他さまざまな物語の考察と解釈

『千と千尋の神隠し』におけるハクと千尋の関係――ハクが湯婆婆の部屋の穴に落とされる場面から――

頻出する登場人物の名前の「」は省略。

「」は固有名詞または引用時に使用。

〈〉セリフが曖昧な場合の作品からの引用時に使用。

“”は筆者が強調したい言葉において使用。

 

 

 『千と千尋の神隠し』においてハクは千尋湯屋でのルールを教えたり彼女を励ましたりと重要な役割を演じている。ではこのハクという存在はどのような存在なのだろうか。またハクと千尋との関係はどのようなものなのか。本稿ではそのことについて考えていきたい。その際に注目したいのはハクが湯婆婆の部屋で千尋と共に穴に落ちていく場面である。

 ハクは銭婆の契約印を盗んで湯婆婆の部屋に戻ってくるのだが、湯婆婆から〈その龍はもう助からない〉と言われ「頭(かしら)」によって部屋に空いた穴に落とされそうになる。そこをなんとか千尋が止めようとするが、そのときに銭婆が現れてその場にいた頭・坊・湯バードを違う姿に変えてしまう。そうした銭婆に対してハクは反撃をするがそれで力尽きて千尋と共に穴に落ちてしまう。こうした一連の流れを踏まえてまずは“穴に落ちる”ということがどのような意味を持っているかを考えていきたい。

 ハクはそもそも「ニギハヤミコハクヌシ」という川の神様であった。しかしながらハクがいた川は無くなり、彼は湯婆婆の弟子になりに来た。しかしそうして湯婆婆の弟子として過ごすうちに目つきも変わり、自分の元の名前も忘れてしまう。自分の名前を忘れるとは“神であった自分のこと”を忘れるということだ。また銭婆からは「欲深な姉のいいなりだ」とまで言われる。ハクは元は神という偉大で神聖な存在であった。高みにいる存在であった。しかし元の自分を忘れ「欲深な」魔女の言いなりにすらなってしまう。さらには他者の大事なモノを“盗む”という罪まで犯すようになる。そして彼は穴に落ちるのである。ここまでくれば穴に落ちることの意味は明白だと思う。それはハクが堕落したということだ。神という神聖な存在から、盗みを働く低俗な存在にまで落ちてしまった、精神が闇の中に落ち込んでしまったということである。それが盗みを働いた後に“穴に落ちる”という場面の意味することではないだろうか。

 しかしながらそのあとの展開を見逃してはならない。千尋はハクの上に乗り、ハクの名前を呼ぶ。その後昔溺れたときの記憶がハクと千尋によみがえり、ハクは再び飛翔し、狭い通路を通って釜じいの部屋にまでたどり着く。この場面はどのような意味を持つだろうか。千尋がハクの上に乗ったことで思い出したのは、昔千尋が溺れていた時にハクが浅瀬に運んで助けたという出来事である。それはハクが川の神であったときの出来事だ。子供が命の危機にある時に助けてくれる優しくて力のある神であったときのことである。つまりハクが思い出したのは自分が神だったということである。自分が神聖な存在であったことをここで思い出した。だからこそ彼は再び飛翔したのである。言い換えれば、落ちること・堕落することから抜けだしたのである。そしてそのきっかけになったのが千尋であることを忘れてはならない。神という存在は決してそれだけでは存在できない。正確に言えば人間抜きでは存在できないのだ。姿かたちが見えないからこそ人間が覚えていなければならない。覚えてその存在を感じていなければ、その力を発揮できない。千尋の呼びかけによってハクが元の自分を思い出し、再び“飛翔”することができたのはそのことを裏付けているのではないだろうか。物語中千尋は一方的にハクに助けられているだけではない。二人は互いに助け合っている。そのことは神と人間のあるべき関係をも示唆している。