※1 頻出する登場人物の名前の「」は省略。
※2「」は固有名詞または引用時に使用。
※3〈〉セリフが曖昧な場合の作品からの引用時に使用。
※4 “”は筆者が強調したい言葉において使用。
本稿においては映画『となりのトトロ』とギリシャ神話の関係について述べる。正確に言うならば物語がどのようにギリシャ神話の影響を受けているかということを明らかにしたい。ギリシャ神話と言われて唐突な印象を受けるかもしれないがこの物語は明らかにギリシャ神話のある話を下敷きにしている。その下敷きとなっている神話と重ねて物語を見ることによって多くのことが分かる。
ではその下敷きになっている話とは何かと言えば、それはペルセポネーの話である。以下ではその話の概略を述べる。
ペルセポネーとはゼウスとデーメーテルの娘である。このペルセポネーはある日花を摘んでいたら目の前に冥府の王ハーデースが現れ彼女は冥府に連れ去られてしまう。ハーデースはペルセポネーを妻にするために連れ去ったのだが彼女はそれを拒否する。またゼウスからの働き掛けもありペルセポネーは冥府から解放された。しかし彼女は冥府にいるときに冥界の食べ物のザクロを食べていてしまったために冥界に属さなければならなくなる。そうして彼女は一年の三分の一は冥界で暮らさなければならず、そしてハーデースの妻となる。
この話は四季の根拠譚として扱われることも多いが(上の概略ではその意味は分からないと思うが)それだけではなく他の意味もある。ここには人間の成長、特に女性の成長のあり方が描かれている。この物語の到達地点はペルセポネーがハーデースの妻になるということである。寄り添う相手を見つけ結婚することは女性が一人前になった、もしくは大人になったことの証である。この物語は彼女が大人になったところでひとまずの区切りを迎える。ではどうして彼女は大人になったのだろうか。どのようなことを通して人として成長したのだろうか。それが冥府の世界に入り込むということだ。冥界とは当然あの世であり、死者たちが暮らす場所である。そこに行く、そこでしばらく過ごすというのは“死”に触れるということだ。明るい生だけでなく暗い死という概念を理解しそれに触れることで人は大人になるのではないだろうか。ここには人が、特に女性が大人になること、そしてその成長はどのように齎されるものなのかということが描かれているのである。
ここまでペルセポネーの神話を見てきたところで『となりのトトロ』との関連を見ていきたい。またペルセポネーが春をもたらす女神であり、ハーデースが冥府の王であるとともに豊穣神としても扱われることも覚えておいてほしい。この神話と『となりのトトロ』のストーリーは密接なつながりがある。そもそもこの物語は子供の、しかも女の子の成長を描いた物語であった。では彼女たちが成長するきっかけになった出来事はなんであったか。それはお母さんの体調が悪化したということだ。彼女たちの母親は体が弱くもうすぐ退院できるはずであったが病院から退院が伸びるとの連絡がくる。それを受けてサツキは〈お母さんが死んでしまったらどうしよう〉という。これはまさに「死」を身近に感じるということではないだろうか。体の弱い母親の体調の悪化は「死」を予感させるものである。それはメイにとってもサツキにとっても同じである。メイはサツキのその言葉を聞いてお母さんにトウモロコシを届けようとする。またサツキはメイの失踪を受けて(これもまた死に触れる体験だろう)トトロに助けを求める。まさしく「死」というものを感じることで彼女たちは成長するのである。そしてそうであるならばトトロは無論ハーデースなのである。まずハーデースは豊穣の神でもあることを思い出してほしい。トトロと豊穣、作物が育つということとの関りは随所にみられるだろう。加えてハーデースがペルセポネーを連れ去ったのは単純に惚れたからである。トトロがメイやサツキを気にいったことが分かる場面もあったと思う。またトトロが乗る猫バスの行き先に「黄泉」とあったことを覚えているだろうか。さらに言えばトトロは結局彼女たちを病院に連れていく。勿論母親の体調は無事だったわけだが、人々から見られずに病院に連れられるというのはまさに冥府への道を歩んでいくということではないだろうか。またメイがトウモロコシをもって母親に会いに行く途中にヤギがいる。これは単なるヤギではない。冥界の入り口には番犬がいるのをご存じだろうか。それはケルベロスである。このヤギはケルベロスをモチーフにしている。鎖に繋がれ、冥界の入り口、母親への旅立ちの道のはじめにたちふさがるのである。いま旅立ちと言ったが、まさしくこの彼女たちの歩みは旅なのである。ペルセポネーは冥界へと旅立った。そして旅というのは人が成長するために欠かせないものなのだ。『となりのトトロ』は冥府の世界へと旅立ち、そこで死というものに触れて、大人の仲間入りをするというペルセポネーの神話を話の構造として取り込んでいるのである。
では最後にトトロについて付け加えておきたい。先の記事でトトロが死神かどうかというのは複雑な問題だといったが、そのことについて答えておきたい。端的に言えば“世間一般の死神ではない”ということだ。人の命を奪う、そういう存在ではない。ただし元のモデルは冥府の王のハーデースであるから死神と呼べなくもないということである。三鷹にあるジブリの美術館で放映されている短めのムービーに『メイと子猫バス』というものがある。その中の一場面にトトロが大量の全身真っ黒のトトロの形をした何かを導いている姿があり、そのトトロの形をしたモノの名前は設定では「おばけ」となっている。そのことからもトトロがハーデースを下敷きにしていることは明白だろう。
以上ギリシャ神話のペルセポネーとハーデースの話がトトロの物語と密接に関わりその下敷きになっていることを示してきた。こうした神話とのかかわりから見ても『となりのトトロ』が成長というものをテーマにしていることが分かると思う。